hide~僕の365日戦争

馬鹿な男が必死で生きてる物語

未来図と過去の記憶

おはようございます。

hideです。

本日のテーマは【未来図と過去の記憶】です。

簡単に言うと、私の自己紹介です。

私の生い立ちから書いて行こうと思います。

私が生まれた時、生まれた月に母親の脳腫瘍が見つかり、ず~と入院していました。

1年で仮退院してくるのは、わずか2~3日程度しかなく、私の母親に対する想い出はその2~3日と今では製造中止になりましたが、ベルミーコーヒーとカラシ巻きが大好きだった事、そして、とっても優しい母親だったという想い出だけです。

おじいちゃんもおばあちゃんも、私が生まれてくる前に亡くなっていたので、仏壇の上に飾られている遺影でし見た事がありませんでした。

父親は、自営で八百屋をしていて仕事と病院の往復で
ほとんど家にいる事がなく、家事などは全て自分がやってましたが、今となってはその経験が有意義だった事に気付きました。

そして!!事件が発生したのは私が小学生1年生の時です!!

家が火事になりました‼

八百屋も自宅でやっていたので全てを失いました…

新しく買ったランドセルも全て灰となりました。

学校の先生のはからいで、同級生の兄弟で卒業してもう使わなくなったランドセルや絵の具セットその他モロモロ頂きました。

正直、恥ずかしかった…みんなピカピカなのに私だけボロボロだったのが…

そして、後にも先にも初めて見た父親の涙

追い討ちをかける様に私が小学5年生の時、それは夏休み中の8月15日、ある1本の電話がかかって来ました。


「お母さんの心拍がおちてます、至急ご家族は病院に来て下さい」


と病院からの連絡でした、その時小さかった私でもすぐに感じました、母親が死んじゃうって事に。

すぐに、父親と母親代わりをしてくれていたおばちゃんに連絡して病院に駆け付けましたが…

そこにいた母親の顔には白い布を被せられ、痩せ細った母親がいました。



  11時58分 享年42才 天国に行きました



そして、先生が死亡宣告を告げたと同時にその日は偶然にも終戦記念日でもあり、病院内で黙祷のアナウンスが流れました。

まるで、僕の母親の為にみんなが黙祷してくれていると感じました。

それだけでも少しは心を救われた記憶はあります。

【過去の記憶】それが、逆に僕を成長させ命の大切さを母親から学び、どんな逆境でも決して諦めない事を父親から学びました。

それは、お金ではけして買えない心の財産を僕に与えてくれたと思います。

その財産を、皆様にもお裾分けしたいと思い、ブログという媒体を活用し情報発信をしていきますので、これからも宜しくお願い致します。

それでは、本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。